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タイ、バングラデシュ、ウガンダとサッカーで渡り歩いてきた日々を振り返ったり最近のボヤキなどを綴ります

04.20.11:17

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02.12.21:44

帰国 ~バングラデシュ~

とうとう。
とうとうバングラデシュを去る日がやってきたよ。
思い起こせば約9ヶ月。

給料未払い。
警察に捕まりかける。
チームメイトからの虐め。
食中毒。
銃で襲われる。

             ・・・ナドナド。


良い思い出なんてありゃしねえ。
あの時、心から思ったね。

やっと帰れる。

で、いざ帰国。帰国って言っても、タイ経由だからタイでみんなにネタでも聞いてもらってから日本に帰ろうと思ったワケよ。そんなタイには、青年海外協力隊のあきちゃんっていう青年でもなけりゃ、むしろおじいちゃんな男と一緒に行くことになったのよ。

リーグ中に一度、ビザの更新の為にタイに訪れた時と同様に、昔の事が嘘のように、タイ人に対して気が長くなったのよね。
今でも思うよね。
あの時、バングラデシュの生活で喜怒哀楽の”怒”の部分を殆ど使ってしまったんだろうって。

で、そんな怒らないユタカに驚くあきちゃん。平和にタイ観光が続くはずだったの。
だが、バングラデシュはタイにも襲ってきた。

なんかあきちゃんの具合が悪いのよ。
基本30代なのに、ほぼおじいちゃんだから具合が悪いのも違和感がなかったんだけど、なんか様子がかなりおかしいのよ。

そして、連鎖的にボクも。

ボクがお腹を下してるのは日常なんだけど、体が熱っぽいのよ。あきちゃんに至ってはもっとしんどそうなのね。

でも気持ちで乗り切ったらしく、瀕死の状態でバングラデシュに戻ったあきちゃん。
問題は残ったボクに届いた一通のメール。

”ユタカ。あきちゃんがバングラデシュに戻ってすぐ、入院したぞ。赤痢だって。”


うおおおおおお。


まさかのメジャーデビュー。
ってことは、ボクもその可能性あるんですよね。
急いで友達に言って薬をもらったのよ。

アメーバー赤痢の抗生物質。

まさか、ブログ以外でアメーバなんて聞くとは思わなかったよ。
しかも、その脅威はブログとは比べ物になんないしね。

結局、日本の検閲所で調べた結果、薬が効いたのか、元々かかってなかったのかは謎のままだったけど、ボクはシロだった。
限りなくグレーには近かったと思うけど・・・


これで、ようやくバングラデシュのお話も終わり。
もう、思い出したくねえなぁ。

次回からはタイの残りのお話しで。
バイチャ。

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02.05.23:41

ボクのお給料 ~バングラデシュ~

リーグも終わって、送別会もしてもらって、ボクに残された行動はただ一つ。

給料の受取。

帰国3日前にマネージャーに話をしに行ったのね。もう帰るから給料をくれって。払わないんだったらサッカー協会に言うぞって。
一見、この小学生みたいな”先生に言うぞ”的な脅し。ココ、バングラデシュに関しては有効なのよ。お偉いさんに逆らえないこの国では、怒られたくないから言う事を聞いちゃうのよ。

ってことで、ボクの給料も”払う”と言ってくれたのよ。
ただ、またまたまたまた”明日”が付いて来たけどね。もう、セットメニューにコーヒーが付いてくるかの如く、”明日”が付いてくるのよね。
でも、コレが最後の”明日”になる事を信じて翌日の指定時間、午前10時に事務所に。


さて、帰国日前日の受け渡し日。心の中じゃブツの受け渡し的な、いよいよ感で事務所へ。


で、あっさりとブツの受け渡し失敗。
まず、敵さんの出方としては、午後になればお金が出来るとのコト。そのお昼の12時をまたぐその時に、いったい何があるのか分からないけど、ボクは待たされることになったのよ。
しょうがねえ、余裕もって1時に事務所へ。


午前と午後の間に何も存在はしなかったようね。。。


敢えて言うなら、存在したのはボクが食べたカレーくらいかな。
1時の奴らの言い分はメチャクチャよ。
”ホントは明日帰らないんだろ。”

いやいや、だとしても払えよ。ってゆーか貴様らに人を疑う権利はねえぞ。

じゃ、今からサッカー協会に言ってくるねって言ったのよ。
オオ、効いたね。一気にグラついたよ。
5時に来てくれだって。ふうぅぅぅ。10時から来てるんですけどぉ・・・
たまたま、スタジアムでなんか試合やってたから見に行って時間稼ぎよ。試合なんてどーでもいいんだけどね。時間だけを潰してくれればそれでいいよ。
と、その時、あるチームのマネージャーが声をかけてきたのよ。

”来シーズン、うちでやらないか?”だって。

あんなに迷わなかった事は無いよ。刹那の時間で”NO”を伝えたよ。”金が払われない”っていう理由も添えて。ハンバーグに季節のキノコを添えるかのように。

で、約束の5時。
なんかね、封筒があったのよ。

やっとだよ。

やっと貰えるよ。

契約の50000タカ(10万円)。

封筒をもらって、お札の厚みに驚くよ。
なんか感無量感がたっぷりだったよね。

で、お金を数えて更に驚き。


足りねえ。
15000タカ(30000)しかねえ・・・
あの野郎、細かいお札込みで、封筒に厚み出しやがった。

結局さ、ボクはサッカー協会に行って、チクるだけチクって日本に帰ることになったんだよね。7時間待って、満額払われなかったって。ってゆーか、契約してから3ヵ月ずっと待ち続けて、30000円だったって。



遠征に行って多少のこづかいは貰ったからそれだけが収入じゃなかったけど。
あの年のボクの年収50000円・・・



よく泣かなかったね。
もう、飛行機が無事に飛ぶことだけを祈ったね。

01.27.23:21

送別会 ~バングラデシュ~

さて、いい加減にバングラの話を止めにしたい。
なぜって苦いから。

リーグも終了して青年海外協力隊の三田さんが、ボクの送別会をやってくれたのよ。お昼にアメリカ人達とサッカーの交流試合をやって、夜からボクの送別会って言う素敵なコース。

で、昼のサッカーは情熱的な白人の流血はあったものの、平和に終了したのね。流血に関しては、あまりメインの出来事じゃないから、スルーさせて頂くね。

夜の送別会も暖かいものだったよ。
交流試合をやったアメリカ人達も参加してくれたし。変な幼虫を喰わせられたけど、そこはしょうがないよね。
あ、変な幼虫に関してもメインディッシュじゃないからスルー致したく。

問題はココからよ。
日本人のみんなでカラオケ行ったのね。ボクの送別会だからボクもいつも以上にはしゃいじゃいまして、お得意のシャンプーカラオケまで披露したしね。

あ、シャンプーカラオケ、そこもスルーね。

で、酔いも酔った夜中の1時か2時。
もう帰ろうかとなるわね。みんなは青年海外協力隊。ボクはパラサイト。この差は大きいのよ。何が大きいって、協力隊はみんなが泊れる隊員ハウスってのがあるのよ。
ボクがあるのはパラサイトしてる協力隊員の三田さんちだけよ。だからボク一人でよちよち帰る事になったのよ。

でね、バングラの夜は基本移動するなって言われてるのね。
最悪、移動するならイエロータクシーってのに乗れって言われてんのよ。


いやぁ、酒のいたずらって怖いね。
ボクはその夜、論外とされるリキシャ(人力車)で三田家に向かったのよ。おそらく未だにいないと思う、人力車でフライオーバーと呼ばれる陸橋のようなものを越えた奴は。なぜって坂道は漕ぎ手が疲れるから。坂のない道をひた走るのよ。ま、もともとバングラに坂は無いけどね。
でよ、フライオーバーを越え、下り坂を気分よく降りたその時に悪夢が。

なんかね、ボクのリキシャを抜いた車が止まったの。
で、人が出てきたの。


・・・嗚呼、包丁持ってやがる。


コレか!
襲われるってやつは!!
気を付けろって言われたっけなぁ。ケンカ売るくらい気を付けてなかったなぁ。
それでも、逃げろって思ったのね。


・・・嗚呼、銃が出てきたよ。


こりゃ、ダメだわ。
きっと動くと殺されんだわ。


黙って、鞄のベルトを切られてたんだよね。
でもさ、ボクの鞄は丈夫な日本製だから、なかなか切れないのよ。
長州小力くらい切れないのよ。

で、勢いで包丁の刃がボクのお腹を切りつけそうになるワケよ。
ボクのお腹だって日本製だけど、鞄のそれより弱いもんですよ。実際何回も壊してるし。
で、自ら鞄を差し出してその場は終了。

でもね、実は万が一を考えてたんだよね。
ポケットにリキシャ代は忍ばせておいたのよ。
ふふふっ。
ってその慎重さがあるならリキシャに乗るなって話なんだけどね。


バングラは最後の最後までネタを提供してくれたよね。みんな笑ってくれたもん。
これで、ホントにネタは最後だろって思ったよね。


・・・ボクが甘かった。
                    次回へ

01.11.22:04

ユニホーム ~バングラデシュ~

超ご無沙汰してます。

バングラデシュリーグもやっと終わった頃のお話し。

ボクね、契約の内容なんだけど契約のサインをする時に金銭的な事は気にしなかったのね。だからって、払ってくれないとは思ってなかったけど・・・
でね、その金銭の代わりに、背番号を14にしてくれって言ったのね。コレはタイで初めてプロになった時の背番号だったから。

それと契約内容にもう一つ。
ユニホームなんだけど、ホームとアウェイの各色、2枚ずつくれって言ったのね。

金銭面じゃないとすんなりOKした我がチームマネージャーだったのよ。

それがね。
リーグ終了までユニホームは各色1枚ずつよ。
話違うっす。
なんかリーグ終わったらあげるだって。

いやね、暑い国だから前半と後半でユニホームを変えたかったからそう言ったのよ。
伝わらなかったんだね・・・

で、リーグ終了したその時。
やっとくれるって言うからコーチの家に取りに行ったのよ。
まずは青いアウェイのユニホームを受け取ったのね。

いやぁ、ビックリだよ。
ロゴもスポンサーも、更には背番号も入ってない同じデザインってだけのユニホームが出てきたよ。

コーチは気付かなかったんだよね。
ボクの”キョトン”に。
その証拠に目はクリクリしてたもん。

で、2枚目のホームの白のユニホームが出てきて、驚きマックスよ。
何が驚きって背番号やらロゴやらが無いのは当たり前なのね。それだけでは飽き足らずデザイン自体が変わっちゃってるのよ。


もう、どこのチームのユニホームでもねえ・・・


それでもコーチは気付いて無かったよ。
ボクの”ガッカリ”に。
その証拠に目はキラキラしてたもん。
その目で、マンUと同じだぞだって。

いや、マンUのユニはそんなんじゃねから。
どんなマンU見てんだよ。


ボクのリーグが終わった後の唯一の楽しみだったのに。
コレにてボクの笑顔終了~。

12.18.16:27

最終戦 ~バングラデシュ~

ご無沙汰です。
バングラの思い出を思い返したけど、すでに最終戦の思い出になっちゃうな。

給料未払い、チームメイトからの虐め。

これはこの時期になっても終わったはいなかったね。
しょうがない。
それでも、気分は晴れやかに試合に臨めたよね。だって、もう終わるから。

最終戦、チームの勝ち点は未だ2。
そんなもんもう、どーでもいいっすわ。
その頃のボクは粗くれてたから結果よりも最後までここまで戦ったことが晴々してたのよ。その戦いってのは色んなもんとの戦いね。

で、最終戦はモロッコ人FWがいるチーム。
しかも、ユニホームはうちよりもカッコイイ。
試合中にずっとそのモロッコ人に話しかけて、ユニホーム交換を要求したのね。
ボクは、契約時にユニホームをホーム&アウェイで2枚ずつくれるように言っといたから、ボクの好きなマニアックユニホームを増やしたかったのよ。
ただ、最終戦になっても、ボクのユニホームは1枚ずつしかなかったけど・・・

ってゆーか、試合に集中しろよ。
そりゃその試合も負けるわな・・・

0-2で負けたその試合をもって、バングラデシュリーグは終了した。

この後、平和に日本に帰る予定だったのに、まだまだこの国はボクにネタを提供してくれることになるんだよね。