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タイ、バングラデシュ、ウガンダとサッカーで渡り歩いてきた日々を振り返ったり最近のボヤキなどを綴ります

07.02.02:44

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12.17.11:38

紅白戦② ~バングラデシュ~

紅白戦でゴール決めてボクとしてはなかなかな方向に。

本日も朝からフィジカル。
バレないようにニコニコ顔の日本語で、”こんなに走らすなよ糞コーチが。”って言いながらの取り組み。
いや、別に腐ってるわけじゃないよ。むしろ前向きな取り組みだよ。

たださ、朝、起きてその15分後には霧がかってゴールが見えないグランドを必死に走れるかって話よ。景気づけに文句の一つでも言わなきゃ走れんよ。


2時間半ほどのフィジカルの後はようやくお食事とその後の癒しタイム。

食後の昼寝タイムが1人になる唯一のチャンス。

疲れた体に甘いもんは染みますな。
屋台で10円のチョコとスナック菓子を買って、用具係の吉田と一休を携え、お菓子を恵みながらの雑誌を読む。

ちなみに吉田と一休はベンガル人の子供ね。
なぜか胸に”吉田”と書いてる学校ジャージを着ている奴とマンガ”一休さん”にそっくりな奴をボクはそのままそう呼んでたの。

お菓子でボクの洗濯とかしてくれるから可愛いもんだよ。
たまにボクの癒され雑誌タイムに”歌を歌ってくれ”とか言ってきたらゲンコツくれてやれば黙るし。


そんな癒しタイムの後はまたまた紅白戦。
どうやらトレーニングメニューも底をついてきたらしい。


今までいい流れだから本日も・・・


人生ってちょっとしたきっかけで歯車が狂うもんなんですね。

その日のゲームは3タッチゲーム。
2タッチではなく3タッチ。この辺の理由がよく分からなかったんだけど後になって理由は解明される。

基本的にボクは2タッチゲームは好きなのね。ダイレクトや2タッチでボールを回して出すスルーパスは美しさこの上ないから。

でもさ、この国の2(3)タッチゲームは別格だった。

繋がんねーのよ。
なんだろ?遠くに飛ばせばいいと思ってんのかな?



だから3タッチにしたんだろうね・・・



終いにゃドリブルし始める奴も出始める始末。
それに連られてみんな3タッチを無視し始めるんだよね。

おっしゃ。
だったらボクだって突破してやろうじゃないか。



ピーーーーー!!!(監督の笛)


監督:”ヘイッ、ユタカ!2タッチ、2タッチ。”


・・・


・・・


この年でこんなこと言いたかないけど、コレって贔屓じゃないですか。

ボクが外人だから、外人はルールを守れってことかな?
まあ百歩譲ってアリとしよう。だけどさ・・・


つい今しがたドリブルこいてた奴が、”ユタカ、このゲームは3タッチだぞ。”って言うのは納得がいかねえ。


チームメイトじゃなければぜってえ殴ってるよ。


この日からかな。
またまた雲行きが怪しくなってきたのは。
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12.16.12:13

紅白戦 ~バングラデシュ~

ただいまガジプールスタジアムにて監禁中。

http://yutaka14.blog.shinobi.jp/Entry/90/

朝から晩までカレーとベンガル人。寄ってくるわ寄ってくるわでうざったくてしょうがねえ。
その割に、サッカーをやるとプレッシャーは甘いのよ。

嗚呼、面倒くせえ。
ボクがベジータなら気を放出して一瞬でこいつらを消してやるよ。

よく日本人同士で話してたの。

”もし拳銃に球が一発入ってて、誰かを撃っても罪にならないなら撃つかどうか?”

何もない国だからそりゃあ妄想だらけになるよね。
ボクは当時即答したよ。

”罪になっても撃ちます。”


さて、そんな生活でもサッカーをやってるときだけは真摯な気持ちでいれるワケで。純粋に結果を出すことを追い求めて必死に走って。見てくれはスラムだけどサッカーへの態度はスリムだったと思う。

嗚呼、つまんねーこと言っちゃった。

一生懸命やれば結果って付いてくるもんなのかね。
いや、きっと違うな。
周りのレベルが低かったんだと思う。

いよいよな紅白戦。
ボクはサイドの中盤をやらせてもらったのよ。自分でも惚れ惚れするスルーパスも決まりまして、突破も決まりまして、アシストも決まりまして。
チームメイトのボクへの目が違ってきたの。

紅白戦もラスト数分。
朝から走りっぱなしの午後の紅白戦。
しかも紅白戦の前にはフィジカル入ってるし、この紅白戦は45分なんてもんじゃなく時間で言うと永遠だったの。

その疲れきったラスト数分。
正確に言うと日没までラスト数分。

”ラスト1点”

コーチの声が響いた。
だけどみんなに力は残ってないの。驚くほどの間延びしたゲーム。そこを救ったのはボク、YUTAKA。

このチーム初のゴーーーール!!!

疲れてたけど気持ち良かったよ。
神様からのプレゼントだね。拉致生活でも腐らなかったボクへの。



ゲーム後、ただでさえ寄ってくるベンガル人のチームメイト。
今日は更に寄ってくるわ。

ゴメン、明らかに嫌そうな顔をしちゃった。

そんな顔を見て奴ら。

”ワット?”

流石に当時の日本の事とか知らないからそれがウェンツと徹平じゃないことは分かかるよね。
英語の出来ない奴らがボクの様子を聞いてきたんだと思う。


”たった今、君たちのせいで気分が悪くなった。”


危なく出かかったこの言葉を、カレースープと一緒に飲み込みました。
この人だかりも神様のプレゼントかしら・・・

11.24.20:48

キャンプ生活 ~バングラデシュ~

やっとスタジアムで練習が出来る!!!

って胸躍らせていた当時のボク。
実際はチームに踊らされていただけだったんだけどね。

25人ほどでスタジアムの控室で寝泊まり。もうね、プライバシーやら住基ネットやらはどこ吹く風。あたしゃ、ベンガル人の約50個の目玉に晒されてたわけよ。

もう、あたしなんかに構わないで!
唯一ボクが1人になれるのは朝と夕方の2部練習の合間のリラックスタイム。
 
と、思っていたんだけど甘いね。

”おい、ユタカ。日本の歌うたってくれよ。”

当時、ボクは日記を書いてたのね。
その日記でも書こうものなら 

”おい、ユタカ。日本語教えてくれよ。 ”

毎日だね。こんなに毎日じゃそりゃたいやきくんも逃げ出すよ。幸か不幸か周りに海がなかったからボクは逃げなかったけどね。

しかも泳げないし!

1曲歌ったら気が済むかと思って歌ったら、もう1曲、もう1曲って。面倒臭えから最後の方はカトちゃんのスキャットマンを1フレーズ。そして風のようにその場を去ったよ。

そして日本人の人たちから貰った週刊誌を読みふけたんだ。ソレがボクの唯一の落ち着く時間。
・・・のはずだった。みんなでボクの週刊誌を覗いてくるのよ。ボクの目と週刊誌の間に顔を出すもんだから僕の視界には黒光った奴らの後頭部のみ。

そりゃ、くれてやるしかないよね。


ゲンコツ!


ボーっと空を眺めてたらいつもボクの練習着だけを洗濯してくれる子供がいるんだけど、そいつがやってきて歌ってくれだって。かわいい奴なんだけどね。と、思ってたら後々金くれとか言ってきた。

マッチの言う、天使のような悪魔の笑顔ってあれやね。

ボクは悪くないよね。
病んでもしょうがないよね。



病がピークの頃のボクの日記より抜粋

『他人のふんどしで相撲をとるって言うけどふんどしを貸しあえるってなかなか出来ないよね。
これって深い友情なんじゃないかな。

当たって砕けろって言うけど自爆テロリストの標語っぽいね。
日本語って奥が深い。 』



ですって。

今更ながら何を考えてたんでしょう?
ただ、日本語を喋る機会がないから日本語についてやたら考えちゃったんだろうね。

当時の思い出がよみがえってきてなんか気分が悪くなるよね。

もう日記じゃない。

今になってデスノート。
読むだけでデスノート。

japonika.jpg








11.21.11:40

キャンプ ~バングラデシュ~

ファキラポンFCでにて、10日程が過ぎまして・・・

未だに近所の公園で走り込みまくり。そろそろプライバシーなんてどこ吹く風な寮生活にチームメイトがうざったくなり、トレーニングによって立派な陸上部になれると思っていた頃、”明日からキャンプだ。”との通達。

ん?キャンプ?

どうやら合宿のようだ。場所はバスで1時間チョイのガジプールスタジアム。なんにせよやっとサッカー選手のようにボールを扱えるらしいのよ。

サヨナラ、陸上部、サヨナラ、公園。

次の日、バスでじっくりコトコトと煮込まれること1時間半。車中、チームメイトにずっと日本の歌を歌わされるという心のレイプを味わい、ようやくスタジアムに到着。

出発時から妙な違和感を持っていたんだけど、その違和感の点と点が線になって結ばれただけじゃなくその線でボクはがんじがらめになってしまうの。

どういうことかって?

あのね、朝っぱらからキャンプ(合宿)だって叩き起こされて、ベッドに敷いてある布団をみんなでバスに詰め込みだすのよ。
”スタジアムでキャンプだ”だって。

で、スタジアムについたのね。
ボクのイメージだと、っていうかタイの場合だとまずはホテルに荷物を置いてそれから、練習やら試合やらが始まんのよ。


一方コチラ、バングラデシュでは・・・


ガジプールスタジアムの控室に、布団を敷き始めたの。


キャンプってそういうことか!?

まさかこれから控室での寝泊りが始まるとは思ってもみなかったな。ボクの想像力なんてチンケなもんだったよ。

あ、言っておくけど控え室って言っても日本のスタジアムを想像しないでね。
いかにもコンクリートな地面に閉まらない足もとの窓。そこから吹いてくる風は遠慮なしに砂を招き入れるのよ。
ボクは埃っぽい寮から、砂まみれの控室で生活することになってしまったようだ。

もうね、半分野宿ですわ。

”俺さ、海外に行った時、最初はホームシックで毎晩泣いてたよ。”
なんて話、よく聞くのね。

ボクはこの生活の最中、毎日毎晩くしゃみと鼻水で涙が止まらなかったよ。

なんかね、ホームシックになるって心に余裕があるんだなって思ったもん。この生活なんてね、余裕どころか時折、電気すらないからね。

もちろんプライバシーもね・・・

11.19.13:04

ボール回し(バングラデシュルール)

タイのボール回しはウォーミングアップと遊びの混合の中に、脱ぎたくないっていう本気が同居していたんだよね。

お次はバングラデシュルール。

まずね、何本パスが繋がろうが知ったこっちゃねえの。
でね、股抜きされるでしょ。
それもまた知ったこっちゃねえの。

さすが、毎食カレー味といった大味なルールだね。
食事もボール回しも面白みが全くねえ。

だからさ、自分自身でこのボール回しの認識を変えてやろうと思ったのさ。
やっぱり股抜きは恥ずかしいもんよ。その認識くらいしてもらいたいもんだよ。


ボクが今、指導してる小学生だってボクに股を抜かれたらガックリ落ち込むよ。
・・・何度、それでボクが子供を追い詰めてしまったか。


でもさ、それくらいは感じてくれないと面白くないワケよ。
だから、股を通した時は思いっきりはしゃいでやることにしたの。

と、いいカモが飛び込んできやがったよ。
スコーンと綺麗に股を抜いたのよ。

”フォー!!ヒャッヒャッヒャッ。”
弾けてやったのね。


なんかね、その姿のボクが滑稽に見えたらしく、バカにされるのはボクだった・・・


ボクだって裏海外組のはしくれ。
イケメン(イケてるメンタル)ですからこんな事じゃめげませんぜ。


いつも、嫌がらせをしてくるベテラン選手の股を通してやったのよ。


純粋に怒られたよ・・・


いや、はしゃぐ前に・・・


”何しやがんだっ!!”だって。


なんだ、股抜きが恥ずかしいこと知ってるんだ。
年功序列が残ってるこの国ではベテランの股を抜いちゃいけないらしい。
で、怒られちゃったワケ。


これ以降、ボール回しで、ボクの心は開かなかった・・・